桂の落ち葉
窓(H20.09.24) NO79
「桂の落ち葉」
地下鉄の階段を登り、出口まで20数段という所で落ち葉が落ちてきた。乾燥しカラカラと颯風に身を踊らせているもの、まだ湿り気があるのか葉は階段の隅に張り付いているもの、どれも同じ形の葉が数枚目に止まった。私は、そのうちの一枚を手のひらに乗せた。心臓(ハート)の形をした桂の木の葉である。
手にした葉は、今朝落ちたばかりらしく、まだしっとりと水分を含んでいる。葉の周辺が薄い芥子(からし)色に変わり、その一部は唐紅色にわずか変化している。中心部分にはまだ緑色が残され、その紋様は高い空から見下ろした地中海のように見える。芥子色の部分は、さながら地中海周辺の陸地だ。桂の周りの木々はまだ紅葉の気配さえ無い。しかし、桂はいち早く季節を先取りし、自らを唐紅に染め始めた。仙台の落ち葉の代表格であるケヤキなど一枚たりとも色づいていないのに。
桂冠詩人というのがある。イギリス王家やアメリカ合衆国図書館で独自に優れた詩人を評価して与えたものだ。イギリスのロマン派詩人として夙に有名なワーズワースがその桂冠詩人である。桂冠はギリシャ時代に名誉を称えるために与えた月桂冠の意である。日本にも桂冠詩人がいる。イギリスの王家から与えられたものではなく、世界詩人協会から与えられた称号である。ただそれだけで、日本では評価されないばかりか、揶揄の対象にさえなっている。先駆けるものは常に正しい評価を与えられない日本である。
午前9時を過ぎると急に風が強くなった。今まで吹いていた東の風が今日は西の風になった。いよいよ秋が本格化するのだろう。私は急に桂の木が気になって、そばに駆けつけた。案の定三分の一の葉は、空に舞い上がったようだ。紅葉の季節までは残暑の日々が半月ほどある。残暑に紅葉を思う人はいない。紅葉の季節に先駆けた桂の葉はその先駆けの意味すら人びとから評価はされないのだろう。しかし、先駆けた人がいて時は大きく変化を遂げる。揶揄中傷する人はせよ。坂本竜馬も久坂玄瑞も、ワシントンもキング牧師も最初は非難中傷の真只中にいた。日本の桂冠詩人の詩に勇気付けられた人びとは多い。それらの人々は新しい時をこの桂冠詩人とともに先駆けている。
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