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2008年5月

ぶさいく

窓(H20.05.28NO73

「ぶさいく」 

我が家の庭で子猫が二匹元気に育っている。隣家との境にあるヒマラヤシーダの根元と塀の間、ほんの30センチメートルの隙間が二匹の寝床である。どういうわけか我が家では、飼っていた猫が命尽きると次ぎにまた野良猫がいつの間にか居つくというサイクルになっている。今回出産した猫は我が家の猫が亡くなってから1ヶ月ほどたって現れた。食べ物の匂いをかぎつけて台所にふっと姿を現した。真っ黒な猫なので「クロー」と呼びかけると警戒しつつも逃げもせずこちらを見ている。そんなことが数日続いたので、餌を与えた。数週間で家に入るようになったものの人間のひざに落ち着くことはない。野良猫生活が身についてしまったようである。何処かの家でも餌をもらっていると思うほど胴が丸々太っていた。そう高をくくったのが間違いで、実はお腹に赤ちゃんを宿していたのだ。 

数日間クローが姿を見せなかった。どこで出産したのだろうと心配をしていると突然子猫をくわえて私の書斎に入り込んできた。コタツの中に二匹の子猫を運び込み授乳している。日中は誰もいない我が家である。書斎を猫たちに占領させるわけにはいかない。急遽段ボールで猫小屋を作り1階居間のベランダにおいてやった。しかし、クローはどうしてもその小屋が気に入らない。子猫を連れて何処かに行ってしまった。また数日後、かすかに子猫の鳴く声に耳を澄ますと冒頭の場所に居場所を決めていた。クローは子猫を見てほしいとまるで私を誘うように導いた。白黒が一匹、真っ黒が一匹。計二匹がいた。白黒は目鼻がはっきり分かるが、真っ黒は目まで黒いのでどこが目でどこが鼻か分からない。私の団地の野良猫たちはほとんどが茶色と白の二色が多い。特に茶色の大型の猫が私の家の庭を横切っていく。きっと子猫たちの母親はどこかの団地から運び込まれたに違いない。 

私が勤務している事務所を出て帰宅しようと歩道を歩いていると、私の後ろから大きな茶色の毛並みの頭が急に追い越して行った。若い男女の自転車二人乗りである。後部の荷台に乗っている女性は白いトレーナーを着て茶色のポシェットを提げ、長い茶髪をなびかせていたので、私は一瞬大型の二匹の猫が走りすぎたように錯覚した。真っ黒の猫は薄暗い寝床にいてもいるかどうかよく分からない。闇夜の烏状態である。ごそごそと急に動き出すと少し気味が悪い。そういえば、黒っぽい背広を着て、黒い頭髪の集団が通勤電車から吐き出される姿を見た外国人がその異様さに驚いたとの記事を思い出した。茶髪も金髪も灰色髪もあることが西洋諸国では普通だからだろう。 

茶髪をなびかせている若い男女の背に「よ~~っ!かっこいいぞ!」と急に声を掛けたくなった。颯爽と茶髪をなびかせている若者様子をなぜか心地よく感じたのは、目も全身の毛も真っ黒な子猫の姿が私の意識のどこかにあったせいだろうか。 

真っ黒な子猫を見て愚息が「ぶさいく」と言ったので、名前だけはと思い「キュート」と付けた。 

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民  度

窓(H20.05.15NO72

「民  度」

北京オリンピックの聖火リレーが世界中の話題になった。日本でも中国からの留学生が大挙して長野に押しかけた。日本人から見るとどうしても違和感を抱かざるを得ない。毎日新聞の余禄には「長野の聖火リレーはまるで赤い洪水のようだった。各地から動員された中国人留学生が五星紅旗で沿道を埋めた。北京五輪のスローガンは【一つの世界、一つの夢】。だが、愛国主義の赤一色で塗りつぶされると落ちつかない気分になる」とあった。同感である。

 ミャンマーの大水害もあったばかりだ。朝日新聞の天声人語には「自然は公平でも、人間の側に様々な不公平がある。そのひずみを、天災はあぶり出す」として、軍事政権が各国の人的援助を拒否している姿を「天災があぶり出したひずみの最も愚かな一つであろう」と酷評している。これまた同感である。

 しかしなぜアジアの二つの国が国際社会からの非難を集めているのか。非難の声を大きくあげているのは西洋諸国である。報道によれば人権宣言の国フランスの声が一番大きいという印象を持つ。確かにフランスは民衆が「自由・平等・博愛」を国王から戦い取った国である。そのフランスでさえナポレオンという皇帝を生み、王政復古という曲折を経て民主主義を勝ち得た。

 アジア諸国は西洋列国の植民地主義の犠牲になった。民主主義を勝ち取る歴史をたどる暇さえ与えられずに搾取された歴史がつい60年ほど前まであった。今西洋諸国が二つの国の民衆の味方になったかのように声高に言う価値観を私は否定しない。しかしアジア諸国が今民主主義への道をどう歩むのかを見守る責務が傲慢な植民地主義を歴史に持つ西洋諸国にあるのではないか。日本もアジアを席巻した歴史を持つ。声高に今の自国の価値観を押し付けるかのような姿勢はとるべきではない。このような国々の指導者と地道な対話と出来る支援をしていく姿勢を持つことが必要だと考えている。五星紅旗を打ち振る中国留学生の民度が現在の中国の民衆の民度だとすれば、それをまず受け止め、民衆レベルの交流を進めていく度量が先進国を任ずる国々の民度でありたいものだ。

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