« 2008年2月 | トップページ | 2008年4月 »

2008年3月

好雨

窓(H20.03.29NO64

 

「好  雨」

 

「好雨知時節、当春乃発生」(好雨 時節を知り、春に当たって すなわち発生す)。杜甫の「春夜喜雨」という詩の最初の一節である。今日は朝から雨である。昨 日までの温かさとは打って変わって肌寒い。しかし、コートに襟巻きまでは不要である。しっとりと濡れた地は黒々として、芽吹きを一層誘うようである。将に 「好雨」である。

 

 霧の中に透けるように見える山のように駅前公園のニシキギはぼんやりと輪郭を現し始めている。近くからはまだ骨だらけの枯れ枝しか見えないのに、遠くからは紅い輪郭が見えるのである。

 

遠くの山々がこの雨を吸い込んで、ほの紅く見えるのは、芽吹いた直後の葉の先端の紅色のせいである。それが数日すると葉の裏が柔毛に覆われた若葉となる。そして葉の裏が柔毛の銀色に、表面はそれぞれに独特の緑色となって風が山々を通るたびに山全体が緑となり銀色となる。

 

冒頭の杜甫の市に続く二文には「随風潜入夜 潤物細無声」(風に随ってひそやかに夜に入り、物を潤し細やかにして声なし)とある。春雨が慈雨と呼ばれるのに相応しいのは杜甫のような詩人に会うと一層その意が深まるように思う。

| | コメント (0)

春まだ遠きか

 

窓(H20.3.2NO61

 

「春まだ遠きか」

 
「春近し」は、まず日射しの変化で感じ取られる。「光の春」と言われる。勤務する事務所に向かうため、地下鉄の入り口を出た。一瞬いつもと違う太陽の明るさを感じたのは立春を過ぎて数日後であった。

  その光に誘われて地下鉄入り口の小さな公園にある椿に目をとめる気になった。春も秋も夏さえも毎日足を止めてみている椿であるが、冬はどうしても足早にその前を通り過ぎていた。三輪咲いている。一輪は寒風に揉まれたのか花びらが傷ついている。残りの二輪はこれからも来るであろう春雪を知らずか可憐に五分咲きである。「嗚呼、咲いていたか。もう三輪も。いや申し訳なかった」とつまらぬ独り言を言いながら、一輪を手のひらで包んだ。それから数日後、椿の葉に積もった塵を拭うような小雨が降った。椿は小雨を沐し、すがすがしい姿になった。明るさを増した光が一層それを引き立てている。夕、週末寒波到来とTVが伝えていた。

  前三後一とは、獅子が獲物を捕らえる姿である。百獣の王の油断せぬ様を表している。春の至福はそう簡単に到来はしない。「温度の春」が訪れるまでは冬と春が何度も行ったり来たりである。春の油断せぬ慎重さが恨めしい。

| | コメント (0)

« 2008年2月 | トップページ | 2008年4月 »